例によってうちのかみさんは、夫婦と借金取りの関係から弥生の夫が殺されて畳の下に遺体があるところまでは途中でわかっていた。
メインは犯人探しではないから、その部分がわかっていてもドラマ的には問題ない。しかしこの事件の場合、肝心のポルターガイスト現象が科学的に説明されても、視聴者はいまいち納得できない。前回の蜃気楼のように誰にでもわかるように再現できないからだ。
実はこの原作は、湯川が現象を科学的に証明して見せるものの、それで誰もが納得するというストーリーではない。弥生に真相を伝えに行く草薙が、今回ばかりはポルターガイストの原因は霊の仕業だと主張し、湯川が了解して研究室から送り出すところで終わる。
ゲストに広末涼子を迎えているから、そんなところで終わるわけには行かないにしても、、このドラマの脚本はそういう含みを持った部分を生かしきれていない。
原作を読んで面白かったからと期待して観ていると肩透かしを食らってしまう。
脚本家の理解が足りない…なわけではないだろう。普通に小説読めばわかることだ。となると「月9」としての方針なのか?
そういう意味では霊安室‐研究室のシーンは違和感だらけ。なんだか無理やりラブストーリーに持って行きたいという下心が見え見えだ。
やはり、先に研究室を持ってきて、内海が湯川に「弥生さんには、『私もあれはご主人の霊が知らせたと信じています』と言って良いですか?」と言わせて、湯川が「真実は解明された。私はそれで良い。君が弥生さんにどういう説明をしようがそれは君の自由だ。」くらい言わせてから霊安室のシーンにした方が自然な気がした。
草薙が内海になるのは良いとして、原作の微妙なニュアンスを潰さないように気をつけてドラマを作って欲しいと思う。福山人気で持ってはいるが、初回以降視聴率はジリ貧状態だ。これまでの「東野圭吾作品を題材にしたドラマや映画は駄作ばかりで不人気」という有難くない評判を覆すチャンスだから。
※詳細なレビューはちーずさんのどらま・のーと弐で。おすすめです。
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