2007年10月16日火曜日

【映画】花とアリス:真面目にレビュー

 見直していて、実はこの映画は凄い映画だなと思い、きちんとレビューしてみました。というわけで、先日書いたものとはあえて別エントリにしました。

 この映画で蒼井優は2パターンの演技を繰り返している。ひとつは素のアリス。もうひとつは演技をしているアリス。“演技をしている”アリスというのはオーディションでの演技ということではなく、「自分の本意ではない行動を取る」ということ。もちろんそれを象徴するシーンは繰り返し落ちるオーディションの日々になる。

 そして、アリスは演技については大根役者であり、台詞は棒読み、表情は硬くよそよそしい。蒼井優自身とは正反対。

 映画の冒頭の登校シーンで、まるで演技をしていないような二人を見せて、“これが普段のアリス”だと印象付ける。そして宮本先輩がアリスを教室に訪ねるシーンで大根役者のアリスを見せる。

 父から万年筆をもらって「使えないじゃん」と毒づくのは演技。その割には執拗に触りまくっているから実際には相当嬉しいに違いない。父に対して見せるよそよそしい態度も演技。父と暮らせない寂しさを見せないための強がり? そして別れ際の「ウォ・アイ・ニー」は本心。

 父のトランプを使ったマジックに、昔海でトランプで遊んだ想い出を話すと「そうだっけ?」とかわされる。別れ際に本心から「ウォ・アイ・ニー(パパ大好き)」と言っても応えてもらえず、父親との距離感を感じたアリスは宮本先輩を通じて過去の想い出を辿り始める。宮本先輩の実際には存在しない「失った過去」を辿るふりをして。

 宮本先輩に対しても最初は演技だが、徐々に本心が出て自然な表情になる。ハナに「まーくんと別れて」と命令するのは本心、「ジョウダンデスヨ」はもろ演技(笑)
 嘘をついているかどうかではなく、本心かどうか。宮本先輩に嘘がばれるシーンはその直前まで自然に嘘を付いている。

 嘘がばれた時に宮本先輩から渡された「ハートのA」が、昔家族で海で遊んだ時のトランプだとわかった時、アリスは想い出は真実だったことを確認する。もちろん記憶違いなはずはないが、何か自分の拠り所になる“証拠”を見つけたかったのだろう。

 それが宮本先輩の手から出てきたことでアリスの過去探しは終わる。自分の記憶は確かなもの。そして父が自分と距離を置いている意味に気づき。父から聞いた万年筆の説明にトランプを重ねあわせて宮本先輩に渡すことで、過去の感傷に浸っていた自分と宮本先輩に決別する。
 このとき「トランプを机の…」と言っている時は演技。トランプを毎日見つけるという宮本先輩に「だめだよ、それじゃ」と微笑み「ウォ・アイ・ニー」と告げるのは本心。宮本先輩は好きだけど、ハナとの友情には換えられない。

 そして、演技で落ち続けたオーディションでバレエを踊り合格する。

 そのオーディションのシーン、他の候補者がリョウ・タグチ(大沢たかお)の理不尽ともいえる審査打ち切りにある種憤りを感じながらも従う中で、アリスが審査終了を告げられても食い下がることで、これまでと違う自分を表現している。紙コップとガムテープでトゥシューズを作ってしまう機転もそれを象徴している。

画像


 美しいアラベスクを決めて踊りを終えた時の、清々しい表情のアリスがとても印象的だ。

 以上は私が作中に散りばめられた数々の伏線と蒼井優の演技から感じたこと。作品内にはナレーションや説明調の場面は一切ないので、人それぞれで色んな解釈ができると思う。

 この映画、見る人によっては高校生の友情と三角関係(だけ)を描いたコメディで終わってしまうだろう。確かキットカットのショートフィルム版は鈴木杏を主役に据えたそういう趣向のドラマだったように思うが、映画化に際してむしろ重きを蒼井優において再構成した岩井俊二監督の手腕に脱帽するしかない。そして、見事に演じきった蒼井優は本当に素晴らしい。

■ 共感したレビュー
絡みつく花とアリスと宮元の胸中(腹筋とくびれ)
花とアリス(裏の窓から眺めてみれば)
『花とアリス』(一感百想)

P.S. 大塚 愛の「クムリウタ」、PVは岩井俊二監督によるものです。






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