2006年2月9日木曜日

【朝日社説】流石は朝日な変わり身の速さ!

 読売、朝日、毎日、産経、日経の5紙で2月9日の社説で皇室関係の話題を扱ったのは朝日だけですね。
 朝日が一番皇室にご執心でしたか(笑)。

 それにしても2月2日の「寛仁さま 発言はもう控えては」から9日の「皇室典範 待つのも選択肢だ」まで、変わり身の速さは見事というしかありません。

 2日の社説では『いまは政府が皇室典範の改正案を出そうとしている時期である』から宮さまは発言を控えよと主張。このとき、雅子さまは発言OKで寛仁さまは発言NO(皇族で皇位継承権がない人は発言OKである人は発言NO)と独善的なダブルスタンダード論を展開しています。

 4日の社説では『気がかりなのは、こうした議論のなかで皇族の発言が注目されていることだ。自民党内の改正先送り論の高まりについて、同党の細田博之国対委員長は「宮さまが否定的な見解を公表されたことも大きく影響している」と語っている。』と「それみたことか」的に2日付社説の正当性を主張。そしてこの社説中で皇室典範改正案について検討した有識者会議の報告を『私たちは「妥当な結論だ」と支持した。ただ、皇位継承順を第1子優先とするかどうかには議論の余地があると考えている。』と寛仁さまと対立する立場であることを明言しています。

 8日の社説では『紀子さま懐妊 静かに見守りたい』と題していながら、『一方で、将来とも皇位継承を安定的なものにするには、女性・女系天皇を認める皇室典範改正に踏み切るべきだとの意見もある。あらためて議論を深めていく必要がある。』と相変わらず“朝日新聞が支持する女性・女系天皇容認案”について言及していますが、『いずれにせよ、生まれてくるのが男の子であるか否かについて過度にこだわることは慎みたい。男の子であれ、女の子であれ、親にとって大切さは少しも変わらない。 』とも書いています。

 そして9日、『私たちは社説で、有識者会議の報告について「妥当だ」と支持した。一方で、「皇太子さまの次の世代に男子が誕生する可能性がないわけではない」として、そうした事情も考えなければならない、と主張し』ています。

 流石は朝日、大学受験で使われるだけのことはあります(笑)

 ここで私が問題にしたいのは4日の「ただ」と9日の「一方」。例によって大辞林で確認してみました。

ただ
前に述べたことについて、留保・注釈・条件などを付け加える語。ただし。もっとも。
「品質はいいと思う。―少し高すぎる」
一方
接続助詞的に用いて、あることと並行して別のことが行われること。…しつつ他方では。
「仕事に励む―、遊びにも精を出す」
 つまり、4日の社説では朝日新聞にとっては付帯事項(つまりは雑件)だった皇位継承順が9日には有識者会議の報告に匹敵する重要事項に昇格しているわけです。

 しかも、8日に「生まれてくるのが男の子であるか否かについて過度にこだわることは慎みたい」と書いた翌日に「皇太子さまの次の世代に男子が誕生する可能性がないわけではない」ですから。

 朝日新聞って慎みがないんですね!



朝日新聞の正義―対論 戦後日本を惑わしたメディアの責任

2 件のコメント:

  1. 「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」
    朝日新聞が言う、言葉のチカラっていったい何なのでしょうか?さすが朝日新聞とみんなに笑われそうですね。

    返信削除
  2. さとし@快投乱打2006年2月10日 3:02

    クルトンパパさん>
    言葉の意味は時の流れとともに遷り行くものです。
    ・・・って、速過ぎっ!!

    返信削除